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人生最後の転職 [過去の歴史]

社長を含め4名の会社。
近い将来幹部候補で年収1000万という甘い言葉を信じ続けて3年。
信じた私がバカだったのか、それとも傾きかけた会社の問題か。

Visual Basic 6.0とSQLのみを使い続けて3年がたち、それ以上のスキルアップもないまま会社の危機的な状況を危惧して社長と何度も話し合い。
将来のことは保証出来ないと、言われてみれば当然のことを言われましたが、妻と3歳の子供をかかえ、マンションも購入していた私は、39歳のここで決断しないともうダメだと思い、妻にかなりの心配をかけながらも転職を決意しました。

私の場合、その前の会社の取引先へ転職していたことと、窓口的な立場だったこともあり、事前に周知の必要性があるということで、退職時期が先に決まってしまいました。

正式に退職の意思を示したのが2008年4月。
取引先への報告のタイミングもあり、退職は7月末となりました。
決まらなければ無職ですが、この時は何を考えていたのか、5月~7月の3か月もあれば確実に決まるだろう、とどこか自信のようなものを持っていました。。。
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35歳での転職 [過去の歴史]

3社目の転職時、既に35歳。
子供が生まれて1年もたっていないくらいの頃で、この年齢での転職。
何故思いきって転職してしまったのかは今でも気になっています。
一時的な気持ちで転職の道を選んでしまったので。

この時は在職中から転職活動をしていました。
まぁ普通はそうなんですが、私の場合は先に上司に退職の意思を示していたので。

利用したのはリクナビNEXTと毎日キャリアバンク(現マイナビ転職)。
そしてそれぞれの紹介サービスも利用していました。
何を勘違いしていたのか、35歳という年齢で、全く経験のないWeb開発の会社を紹介してもらっていました。
中途半端な考えだったので、当然これという会社がなく。。。

それから知り合いを頼り、Yahoo!や楽天も考えてみたのですが、かなり厳しい環境で、かつ自分のスタイルとはなんか違うような気がして応募するまでに至りませんでした。

在職中に決めたのは@typeから自分で応募した、横浜にある旅行系のWebサイト運営会社。
使用言語はASPとSQL。
経験はなかったのですが、在職中の会社が同じ旅行業界だったのが決め手だったようです。

ただ。。。入社直前で気持ちが大きく揺れ、せっかく内定を頂き入社まであとわずかというところで辞退することとなりました。
知らない言語、開発へ踏み込むこと、当時埼玉に住んでいて通勤に2時間以上もかかってしまうこと、将来を考えた時に自分自身の姿が想像出来ないこと等、様々な理由はありました。

実はこれは退職後のことでした。
無職への恐怖もあって非常にあせり、3社目の取引先の会社に声をかけて結局そこに決めました。
本来ならばありえないことなんですけどね。
使用言語はVisual Basic。
オープン系での経験はこれだけで、しかも独学だったのですが、一応経験者としてスムーズに仕事に入ることができました。
当時私が発注し、スケジュールやバグ管理などいろいろと厳しく言っていた会社への転職。
転職後、私の元部下から受注し、厳しい指摘を受ける立場になりました。

給与は8年間勤め、管理職までいった3社目からガクっと下がり、経済的にかなり危機的な状況でしたが、退職金と多少の蓄えでしばらくはなんとかなるだろう、そのうち給与もあがり、会社も大きくなり安定した生活が送れるようになるだろうとその時は思っていました。。。
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旅行業界への転身 [過去の歴史]

1回目の転職と違い、2回目の転職ではリクルートのお世話になりました。
リクルートと言っても当時はインターネットもないので当然リクナビNEXTなんてものもなく。
確か、新橋にあったリクルートへ直接出向いて登録し、企業を紹介してもらいました。

記憶している限りでは2社紹介してもらったと思います。
1社は某航空会社グループのシステム会社。。。就職活動時に落とされたところとは違いますよ。
経験していた言語が言語なだけに、即戦力を求めていたその会社には書類選考でNGでした。
もう1社は面接に行ったのですが。。。

確か吉祥寺だったと思いますが、すごい狭いオフィスで、面接は裏の倉庫室のようなところ。
Visual Basicメインだったのですが、独学でやっていた素人ではやっていけそうにもなく。
一応企業の方からは次のステップへの話はあったのですが、辞退しました。

そして決めたのは。。。B-ingで自分で見つけた企業。
旅行会社ではありませんが、旅行業界に属している会社です。
説明は難しいんですが、簡単に言うと旅行代理店のオペレーターの人が飛行機の座席の空席状況を紹介したり航空券を発券したりするシステムを提供する会社です。
ただ、旅行会社でもシステム会社でもありません。職種もプログラマでもSEでもなく。。。
ということであいかわらず独学ではVisual Basicを勉強していましたが、仕事では外部の開発会社へシステム開発を発注して管理するような仕事でした。

3社目なんですが、社会人として重要なことを学んだのはここでしたし、自分の人生の中では最も充実していた会社でしたね。約8年間も在籍していました。

では何故やめたのか。。。遡ればここも上司が原因でしょうか。
最後の1年間管理職だったのですが、ここの上司と同じようにはなりたくないと思い、もっと現場にいたい等いろいろと理由はありました。

表向きの理由はやっぱり。。。「もっと現場に携わりたいという気持ちが強く、オープン系の開発に実際に携わりたい」というものでした。
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スロットマシーン [過去の歴史]

「身近な目に見えるモノ作り」ということで単純に考えたのがゲーム業界。
当時はゲーム業界のプログラマという人達がどのような生活を送っているのか知らず、納期前がどんなことになるのか教えてくれる人もいなくて。

転職活動自体がどのように進めてよいのか分からず、結局履歴書を送ったのは2社だけ。
インターネットという情報源がない時代でしたので雑誌に頼るしかなかったですね。
1社は当時も今も非常に人気がある、あの会社。
なんとかシリーズを出してますね。
ここは応募総数が非常に多いのか最後まで返事がありませんでしたね。
入社したのはもう1社のほう。
こちらはパチスロメーカーとしてはかなり有名な企業のグループ会社。
今では当時と会社名も変わっていて、映画の興行なんかもやってますね。

私はここでカジノ向けのスロットマシーンのゲームプログラムを作っていました。
使用していた言語は。。。これも他ではあまり使えないZ80アセンブラ。
今この言語を知ってる人自体どのくらいいるんでしょうか。。。
かく言う私も既にはるか記憶のかなたに消えてしまっています。

自由、と言えば自由で、同僚との雰囲気は良かったのですが、上司も自由過ぎて。。。
やりたい放題の上司のせいで退職を決意。
わずか1年9か月でしたね。
表向きの理由は、「身近な商品でしたが、海外向けだったので、日本の顧客向けの商品に携わりたい」でした。
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日立グループ [過去の歴史]

最初の会社は横浜に本社がある日立グループのIT企業。
この会社では3か月の研修があり、プログラムの基礎的なことを学びました。
その後も様々な研修があり、必須のものもありましたが自由に取れる研修もあり、ここで当時のオープン系では最も注目されていた(と思う)Visual Basicの研修を受けました。
ここからVisual Basicに興味を持ち、自前で言語ソフトを購入し独学で勉強し始めました。

当時は全く気にしていなかったのですが、今思えばこの会社、客先常駐がメインの会社でしたね。
3か月の研修の後、日立製作所の戸塚工場に配属され、それから4年間、一度も異動の話も打診もないままでしたね。
横浜本社には入社の時と退職の時くらいしか行きませんでしたね。。。

業務で使用していたのは、日立製作所仕様のPL/I。
プログラム内でアセンブラが使えるPL/Iでしたが、全く他では使えないような言語ですね。
隣にはUnixベースでC言語を使用している部署があったのですが、そちらに配属になっていればその後の人生も変わっていたと思います。
もしかしたら、やめていなかったかも。

この会社で約4年間過ごし、26歳の時に転職しました。
退職理由は。。。「汎用系プログラムの開発であった為、より身近な目に見えるモノ作りに携わりたい」でした。
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就職活動 [過去の歴史]

大学は4年生大学でフランス語を専攻していました。
周りは女子が多く、学年50名のうち男子はたったの5名。
そんな環境で、外国語ということで、やっぱり旅行好きな人が多く、就職先も旅行会社を目指す人がかなり多くいました。

私も最初旅行会社を目指していました。
当時は超売り手市場。フランス語を専攻していながら、フランス語どころか英語も話せず、何も売りがなかった私でも何社か内定をもらうことが出来ました。
まぁ、そういう時代もあったということで。

ある時、友人に誘われていった行ったIT企業のセミナー。
まぁ当時はITという言葉はなかったので、システム会社といったほうが良いかもしれませんが、とにもかくにも興味本位で参加しました。
それは某航空会社のグループ企業のシステム会社。
パンフレットに載っていた飛行機のコクピットの写真。これを動かしているのがシステムだという。
機械は作るより壊す方が得意だった私ですが、かなり心を動かされ、面接まで受けることに。

面接はグループ面接。
多少緊張しながらも、それまで内定をもらっていた企業の面接と同様に自分を表現。
少しは自信があったのですが。。。。。

結果は不合格。
もともと全く行くつもりがなかったという友人は合格という結果になり、ちょっとした嫉妬心も芽生えました。

最初に受けたシステム会社が航空系システムという男の子にとっては非常に興味深いものであったことと、友人が合格して自分が不合格だったことに対する競争心から、それ以降システム会社へ方向転換。
何社か受け、何社か内定をもらいました。

最終的に決めたのは。。。

日立製作所グループのシステム会社。
まだ新しい会社で横浜に本社を構えていた会社でした。
正直、会社がある「横浜」、寮がある「湘南」に惹かれたことは否めません。。。

仕事、会社、社会人ということに対してかなりの甘ちゃんでしたね。
まったく深く考えてませんでした。
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